理想の女性!ルースベイダーギンズバーグ判事の経歴・功績・映画

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リベラル派のアメリカの最高裁判所の判事、ルースベイダーギンズバーグさん。頭文字をとり、RBGとも表記されます。強く賢い信念のある女性で、私の理想の女性のひとりです。非常に残念なことに2020年9月に亡くなりました。ルースベイダーキンズバーグが与えた影響や、経歴、名言などを紹介していきたいとおもいます。

目次

ルースベイダーギンズバーグ判事の経歴

ニューヨークのブルックリンで、両親共に移民、貧しいユダヤ家庭に生まれました。コーネル大学を卒業した月にマーティン・キンズバーグと結婚。

性差別経験

ハーバードロースクールに進学した際は、500人以上の生徒がいる中、女性は9人しかおらず、女性だからという理由で図書館へ入れない、男性へ席を譲るように言われる等、性差別を受けたそうです。

在学中の出産、旦那のガン闘病

在学中に子供が生まれ休学。マーティンはガンを罹患。学校、マーティンの看病、育児、家事をこなしました。マーティンの授業にも出席してノートを取り、彼が遅れをとらないようにしました。お料理は上手ではない、と「National book festival」で語っていました。

その後、回復したマーティンがニューヨークで働くことになり、ハーバードのあるボストンからニューヨークへ転居し、ニューヨークにあるコロンビア大学ロースクールに通い、主席で卒業、法学位を取得しました。

人種、姓、地位による差別

しかし、NYC内で就職先を見つけるのは困難でした。彼女は、卒業したときは子供は4歳になっていました。「ユダヤ人、女性、母親」であることがその原因だったと語っています。

しかし、彼女にとてもよくしてくれるコロンビア大学の教授がいました。コロンビア大学の教授が、「ルースベイダーキンズバーグにチャンスを与えてくれ。与えてくれないなら、今後コロンビア大学ロースクールの生徒をそちらの法律事務所に紹介しない」とまで言ってくれたそうです。
そして、書記官としての仕事を手に入れ2年間勤めました。

コロンビア特別区巡回区控訴裁判所

1980年、ジミーカーター大統領(当時)から、コロンビア特別区巡回区控訴裁判所の議席に指名され、1993年まで勤めました。

史上二人目の女性判事

1993年にビル・クリントン大統領(当時)から指名されて以降、2020年9月18日に亡くなるまで27年間勤めました。最高裁判所の女性判事としてはオコナー氏に続き2人目、ユダヤ人としては初めての最高裁判所判事です。

RBGの功績

ルースベイダーキンズバーグ判事の功績について、特に女性のためにしてくれたことを紹介します。

コロンビア大学ロースクールで働いていた際は、女性の同僚が男性の同僚と同じ退職の福利厚生をもらえるよう闘いました。

女性が男性のサインなしに住宅ローンを組めるようになりました。また、女性が男性のサインなしに銀行口座やクレジットカードを持てるようになりました。

そして、性別に関わらず仕事に就ける権利を持てるようになりました。女性が妊娠中や子供がいても働くことができるようになりました。

そのほか、同性婚にも賛成。

映画・ドキュメンタリー

ビリーブ 未来への大逆転(On the Basis of Sex)

いくつか映画がありますが、ルースベイダーキンズバーグが性差別に戦ったことがよくわかるのはこちらの映画。

ハーバード大学ロースクール入学から、弁護士として性差別について法廷で闘う様子を知ることができます。

最高裁判所のリベラル派

反トランプ発言

保守派のトランプ大統領と、リベラル派のルースベイダーキンズバーグ判事は意見が異なります。

トランプ氏が大統領になることは考えたくない、その場合ニュージーランドへ移住するかもしれない、と発言したこともあります。(その後、謝罪しています)

最高裁判所裁判官としての強い思い

闘病しながらも仕事をつづけたルースベイダーキンズバーグ判事。

「次の大統領が着任するまでは置き換えられたくない」、というのが彼女の強い願いだったそうです。

最高裁判所判事は9人いるうちの4人がすでに保守派であり、リベラルな彼女の存在はとても大きかったのです。もし彼女が最高裁判所の判事を退いたら、トランプ現大統領が保守派を選び、最高裁判所の意見が偏ってしまうと想定していたのです。


最後まで意志を貫く姿勢、信念の強さ、マイノリティに寄り添う姿に、女性として、人として、尊敬しています。次回は、ルースベイダーキンズバーグ判事の名言を書いていきたいとおもいます。

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